平成は遠くになりにけり
ツイッター2日目。
私用にて掛川まで出かけ、帰り道に藤枝の蓮華寺公園前EFカレーで、遅い昼食をとる。
ツイッターは文章のみよりも、食事やペットの写真など添付すると、フォロアーが増えるんだとか。
食事前に写真を撮るなんてこっぱずかしい行為、これまで一度もしたことないが、これもビジネスのためと割り切った。
多分「こんなところで食事しましたぁ~」で済むんだろうけど、どこか自己主張したいらしく、お店のBGMに難癖をつけてみる。
いつ行っても同じ1枚のCDが繰り返し流されているためで、数か月に1度行く程度の僕でも、辟易としてしまうためだ。
たいへん個人的な感覚だろうけど。
店側としては客が気にならない、当たり障りないものを選曲したつもりだろう。
ところが人によっては(僕みたいな偏執狂にとっては)、これ、誰のなんという曲で、演奏はだれとだれで、下手すると録音は何年で、までわからないと、なんか気持ちが落ち着かないのだ。
さすがにクラシックだと、よほど個性的な演奏でない限り、奏者までは特定できない。曲名がわかれば、それでよしと納得する。
通俗名曲の類なら大体わかるし。
問題はジャズがかかっている場合で、とくに版権の切れた古いスイングやビバップ、それに黎明期のモダン・ジャズだと始末が悪い。
かつてジャズ喫茶にはブラインドフォールド・テスト(目隠しテスト)という遊び(拷問)があって、何の情報も与えず演奏を聞かせてその奏者を推量させていた。今流にいうなら完全なアタオカである。
そんなのわからないのが普通だし、ジャズを聴かない人なら極端な話、どれも同じくらいに響いているかもしれない。
ところがなまじっかジャズ道にはまってしまった者にとっては、「わからない」なんて、口が裂けても言いたくない。
そこで目を閉じ頭を垂れ、耳だけを研ぎ澄まし、音に集中する。
きっと傍目からはアブナイ人に映っていることだろうが、なに、構うどころではない。
ここで当てなければ死んでしまう、くらいなテンションで真剣勝負しているのだ。
ところがジャズの録音なんて1曲が数分で終わってしまい、そうなると最初から同じ拷問が繰り返されることになる。
おまけに音量が絞られているから、ますます見分け(聴き分け)がつかなくなってしまう。
もう、食事どころじゃないカオスの渦に叩き込まれているのだ。ちゃんとおいしく食べるけど。
じゃあ、同じ演奏しかかけない「E→F CURRY 蓮華寺池店」なら落ち着くはずじゃないかといえばそれはそれ、刺激がまるでなくて、退屈で辛いのである。
つまり、マニアはわがままということだ。
自分じゃマニアとまでの自覚はないけれど、音楽に関してこだわりが強いのは認める。というか、若い頃そういう聴き方を仕込まれてしまったというべきか。
というわけだから、どうせBGMを使うなら、インドの最新ヒット歌謡みたいなのにしてほしい。
これなら最初から知らないし、そもそも興味ないし、どれも同じに聴こえるから無害である。
いや、そうでもないか。最近のインド音楽は、かなり欧米ナイズされてきていている。
これなんか、「ゴッドファーザー愛のテーマ」のパクリそのものじゃないか。
こういうのが聞こえてくると、このジャンルもうかつに安心できない。
それにかつてのインドなら、性的なものを想起させる表現は一切ご法度だったはずなのに、このMVなんて相当きわどいつくりである。
「踊るマハラジャ」は、遠くになりにけりか。