気になるBGM
今のところ、自宅の居間を作業場にしている。
パソコンでこのブログを打つのも、動画を編集したり本を読んだりするのも、これからパスタを茹でて昼食をとる場所も、電気マットの上に設置したローテーブル一つで賄っている。
居間とキッチンで20畳近い広さがあるものの、今の生活なら、3畳間で十分事足りるはずだ。
ちなみに、妻がほぼ強引に搬入したアップライトとグランドのピアノ2台が、大きなスペースを占有している。
アップライトは奥の隅だからまだしも、アップライトの存在感は半端なく、此奴の居場所から逆算して、家具等の配置を決めなくちゃならなかった。
入れたご当人は裁縫に目覚め、これで稼ぐんだと朝な夕な(深夜まで)、ミシンの前に座り続けている。
住人2名の我が家なら、3畳と4畳半の2DKで生活に不便はない。改めて書いているうち、もったいない気がしてきた。
今や弾かれなくなったグランド・ピアノは、置物・飾りというにはあまりに図体がでかい。
多少ゼニがかかっても、しかるべき業者に引き取ってもらえばどんなにかすっきりするだろう。
しかしそんなこと口にしようものなら、どんだけ後から面倒くさい時間を費やさなければならないか。
想像するだに行動まで至らず、こちらも放置やむなしと物事は進まない。断捨離なんて、我が家においてはもってのほかなのだ。
かつて息子が使っていた和室は、玄関を隔てた向かい側にある。本当はそこを事務所にしたらいいのに、物置状態のまま手つかずにきた。
お家の片づけ。「いつかやらなくちゃ」のまま時は過ぎて行き、このまま人生の終わりを迎えてしまう気が、しなくもない。
居間には10数年前に購入し、もはや本来の機能を終えかけた42型テレビが置かれている。
地上波やBS放送に縁遠くなって久しく、視るのはもっぱらネット番組だ。
それすらも、YouTubeが理不尽な規制を強めるようになってから、かつてほど熱心ではなくなった。
「武漢ウイルス」「イベルメクチン」「地球温暖化のウソ」みたいな話題に触れると、即バンされてしまうという現実。自由社会にあるまじき言論弾圧だ。
もしかすると中国以上に人の思想や嗜好、言動までも統制する世界が近づいているのかもしれない。まじヤバい。
作業中、テレビはBGMを流す装置として活用している。むしろ現在の使用法は、こっちがメインかもしれない。
YouTubeには膨大な音楽データがあるが、唐突にコマーシャルの介入することがあり、そうなれば興の削がれること甚だしい。
そこで使い勝手はイマイチだけど、amazon musicから選曲している。
BGMなので作業の邪魔にならない音楽の方が、本来はいい。
「朝に聞くクラシック」「60年代の洋楽」「コーヒーとボサノバ」なんかを流しっぱなしにしておけばいいものを、作曲者や演奏家主体に検索するから時間がかかる。
それがまた、楽しみでもあるから仕方ない。
音も一応こだわっている。まるで金などかけていないが。
テレビのヘッドホン用ピンジャックから、Amazonで2,500円くらいで買ったミニ・アンプにつないでいる。3年くらい電源つけっぱなしでも故障知らずだ。
スピーカーは、20数年前に購入のパイオニア・バーチカルツイン型のブックシェルフ。今なら中古で、数千円も払えば買えるクラスだろう。
スピーカーケーブルだけは超高性能な、BELDEN(ベルデン)8470 16GAを使っている。といっても1m300円もしないから、全長で2,000円程度の代物だ。
オーディオにうるさい御仁なら鼻もひっかけないシステムだろうが、けっこういい音で鳴っている。
なにしろテレビから直接の音質で聴くのとは、比べ物にならない。
オーディオの面白いところは、高い装置がいい音とは限らないことだ。
安くて良い音を聴きたければ、この業者の取扱品をお勧めする。30,000円程度のアンプに変えるだけで、まったく次元の異なる世界が体感できるはず。
長くなって本題に入れなくなった。
日を改め、続ける。