Silent Night
ツイッター6日目。
「いいね」が2つ。昨日と変わらない数。
ツイートする回数を、さらに増やしてみた。
かといってネタはないし、洒落たことつぶやくセンスもないから、今日が誕生日か忌日の音楽家をピックアップしては、一言を添えていく。
今夜は静岡グランシップ中ホールで、「小曽根真 Christmas Jazz OZONE60 ‘THE SONGS’」と題されたライブがあった。
以前の職場関係の方から招待券を送っていただき、久しぶりの生演奏を堪能する。
19時ぎりぎり会場入りしてまず驚いたのは、まったく人数制限されていないことだ。
緩和というより、すでにコロナ以前に戻っている感じ。
一方で、お客さん全員がマスクを着用している。慣れとは恐ろしいもので、その状態に何の違和感も感じない。
喋らんのだし、みんな同じ方向(ステージ)を向いているのだからマスクはいらんじゃないかと思うが、この環境でノーマスクは却って目立つ。無駄な抵抗はやめて、つけたままでいよう。
小曽根真は、現在も世界で活躍するピアニストだ。
バークリー音楽大学のジャズ作・編曲科を、首席で卒業したエリートである。
僕はむしろ、オーケストラと共演したモーツァルトやガーシュインのピアノ協奏曲の方が、耳になじんでいる。力量のあるプレイヤーだ。
ウッドベースは女の子(僕の距離から見ると”女性”というより、幼さ残るかわいげな印象)。指がよく動くんだ。
石川紅奈か。小曽根がプロジェクトとして発掘している、次代が期待される1人らしい。
このベースという楽器、はるか昔だけど演奏会後の呑みの席で、プロのミュージシャンのそれを触らせてもらったことがある。
弦は太いし、めちゃ硬い。ちょっといじっただけで指が血まみれになること必至だ。
ストロークだってギターやヴァイオリンの比じゃないから、長時間弾いてるとさぞや疲れる事だろう。
それをこともなげに弾き、曲によっては弾き語りまで披露する。うん、まさに女の時代だ。
スライド・トロンボーンの生演奏は初めてだ。あの延ばしたり縮めたりが、音にどういう影響をもたらしているんだろうか。
奏者の中川英二郎も、音楽一家に育ったサラブレットである。えらく饒舌なプレイを聴かせてくれた。こちらはベテランの域だな。音が確立している。
アルト・サックスの中山拓海は、静岡学園卒の静岡県民。
1992年生まれということは、まだ20代ってことか。えらいなぁ、楽器1本で生きていこうなんて。
国立音楽大学ジャズ専修1期生というから、彼も高等教育を受けてジャズの道に進んだ一人だ。僕が馴染んだジャズの時代とは、明らかに人種が違ってきている。
まだ自分の音楽、確立して無いかな。マクリーンになったり、ドルフィーになったり、スコット・ハミルトンになったりしている。さらに場数を積むことだ。
学士なのは、ドラムの高橋信之介も一緒だ。
1978年神奈川に生まれ、洗足学園短期大学ジャズコースというのを出ている。ジャズを教える大学なんて、まるでピンとこない。
ジャズのプロだなぁって演奏。あたりまえだけど。
彼ら音楽のエリート集団によるプレイは、清流を流れるがごとき澄んだ響きだ。
うまい。ベラボーにうまいんだけど、口に含んでも広がる味がないに等しい。
味のないジャズは、僕にとってジャズじゃないんだよなぁ。
ところが第2部に小野リサが現れ、最後の「Bananeria」に至っていきなり、エンジンがかかった。みんなのハートに火が点いたのだ。
テクニシャンがガチになると、もう批評めいた戯言をはさむ隙間など、どこにもなくなる。
土壇場で全員が、ようやくノッテきた感じ。こっちも文字数が、1,700を超えた感じ。そろそろやめんと。
たとえ1曲であろうと(実際はアンコールのボサノバ風「きよしこの夜」も含め2曲)、いい演奏に触れられたのは無上の喜びである。
そうじゃないライブのほうが多いわけなので。
ありがとう、Aさん。満足の夜となりました。また明日から頑張ります(たぶん口だけです)。
あれ、これで観ると”女の子”じゃないな。失礼しました。