このまま言い出さないで
ツイッターは、結構前からやっている。
”やっている”と言うのは、厳密な意味で正しくない。
自分では一切つぶやかず、他人様のツイートに「いいね」かリツイートするだけだ。
数年前だと、毎日一度はつぶやいていた。
毎日必ずつぶやくと決めると、意外と習慣化した。過去、日記をつけ始めても3日と続いたことがない人間にしては、よくもったもんだと思う。
ある日を境に、外的な理由からつぶやきをやめた。
しばらくツイッター自体にも遠ざかっていたけど、自分でも忘れていたずいぶん前のつぶやきに「いいね」の通知が来たりして、自然とまた開くようになる。
ツイッターも自発的にやろうと思ったわけじゃなくて、ある事業を会社で立ち上げたときアドバイザーの女性が、目立つためになんでもいいからつぶやけというので始めた。
アカウントも彼女が代行していて、あとから聞くと「忘れた」と言われる。
特に不便もないから、そのままにして今もやっている。
つぶやかないうえフォローも原則しないから、フォロワーなど増えないはずが、今の段階で416とでている。
毎日まめにツイートしていた頃は50前後だったから、皮肉なもんである。
もっともこのブログ同様、見てもらうよりはトレーニングのための要素が強く、ネタはほとんど、マイナーな音楽とそのジャンルに限られていた。
だから「いいね」をよこすのは、極めて少数の愛好家に限られる。
自分の意見は皆無だから、炎上したりはまずしない。
だいたい政治的なツイートに反応していて、特に現政権があまりにもアレなもんだから、荒れに荒れている。
今の日本は、絶望的な状況だ。その危機感が、このツールからは最も伝わる。
戦後76年というもの、まやかしにしろ表面的な「平和」は維持されてきたが、ここ数年で環境は、まちがいなく激変する。
現実を直視すれば一目瞭然なはずの危機に対し、日本の政財界のあまりな無頓着さには、呆れたり怒ったりする以前に不思議でならない。国家の危機であり、何より僕やアナタの生命が危ういというのに。
そういう現状にあって、ややもするとツイッターの投稿が俯瞰よりも近視的な見方へ流されがちになるのも、致し方ない。
140字という制限もあるし、匿名性の高さから、表現が過激なものへと傾きやすい。
トランプ前大統領のツイートを永久凍結するなどという蛮行は、表現の自由に対する限界も露呈している。
それでも今のところ、「いいね」やリツイートの数が国民の意思となり、状況を善き方向に変える力があるのも事実だ。
「数は力なり」。それを実感させてくれる、持たざる者の武器としてツイッターは有効だと思っている。
でも、都合の悪いものはすぐ消されちゃうけどね。
2020年1月23日朝10時、武漢が「ロックダウン」されたとき、直ちに中国観光客の来日を止めるべきとした僕のツイートは消えている。
しばらくこの関連でつぶやいていたものも、全て見当たらない。
こういう露骨な言論封殺を身近に体験できるのも、逆の意味でSNSのメリットかもしれない。
世界は今、不穏な空気に満ち満ちている。