ひねくれオヤジの戯言

明日持参するチラシのひな形が完成した。
PDFを送信して先に確認いただき、明らかな誤情報だけ変更済みだ。

で、TVerで再放送していた「ひねくれ女のボッチ飯」全8話を観終えた。実は2度目である。

「孤独のグルメ」「ワカコ酒」「絶メシロード」「珈琲いかがでしょう」「東京放置食堂」「ごほうびごはん」そして「スナックキズツキ」と、視ているのってテレ東の、飲食系ばかりじゃないか。

主人公の設定も、似たり寄ったりだ。
自営業の「孤独のグルメ」、過去に裏の顔を持つ「珈琲いかがでしょう」、元裁判官の「東京放置食堂」以外、どこにでもいそうで、ちょっとうだつの上がらない会社員ばかりだ。彼らが関わるのは当然、市井しせいの人々ばかりになる。

だから観ちゃうんだろう。起伏があまりなくて、後からじんわり沁みてくる作風が好きなのだ。
深夜テロと称された「孤独のグルメ」も、店が実在するからといって、単なる食レポドラマなんかじゃない。
吾郎さんの心の声は人間賛歌そのものであって、だからSeason9まで息長く続いているんだろう。

例えば小津安二郎の、ひたすらなんでもない日常を描いているようで、実は超絶SF・天地創造みたいな悪意丸隠し(個人の感想です)の映画が好物である。
逆にハラハラドキドキのストーリーだと観る気がせず、ホラーなんか完全に足を洗った。怖いんじゃなくて、単純につまんないのだ(サスペリア2は今も好き)。
痛快アクション物も、CGがいきわたった今世紀の作品には触手しょくしゅが伸びない。
やっぱり「ダーティハリー」とか「フレンチコネクション」とか、アクションかしらんけど「ゴッドファーザー」や松田優作の「野獣死すべし」、このあたりだよなぁ。

ひねくれるならタルコフスキーとかパゾリーニとか、やっぱりヨーロッパ系のヘンタイ監督がたまらなく良い。
フェリーニだと「道」か。どうしようもない腐れもんが最後に叫ぶシーンなんて、人間のとことん堕ちた末に垣間見せる、ひとかけの優しさがたまらない。
思い出したらすぐ、観たくなってしまったじゃないか。

脱線ついでに申せば、映画鑑賞というのは一定の体力・気力を要求されるものらしい。
できるだけ観るようにしているが、「観たい」んじゃなくて、無理しても続けるトレーニングに近い感覚になってきている。
このブログも、似たようなものか。

だから映画も、過去何回も観たのを反芻はんすうしたがるんだろう。
「犬神家の一族」なんて中学生時代、船橋の映画館ロードショーに行って以来、ビデオで何10回繰り返したかしれない。

冷静になって考えれば、そんな傑作ってわけでもないんだけど、テーマ曲は文句なくすばらしい。
人が生まれ、避け得ぬ宿命さだめをつらぬく覚悟を、ここまで音で描き切った大野雄二は天才だと思う。
最近だと、特別な家に生まれながら”個人の愛”を優先し、宿命さだめを放棄しちゃうお姫様もいらっしゃるわけだが。

愛のバラード(犬神家の一族) こそは映画音楽史に燦然さんぜんと輝く、金字塔と位置付けたい。

「ひねくれ女のボッチ飯」は、またの機会に。

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