明けの明星の一つの光
Yahooのニュースに、モロボシダンのフィギアが載っていた。
記事の内容にとりたてて感想はないけれど、ダンが主人公の『ウルトラセブン』となれば、何かと思い入れは深い。
円谷プロの空想特撮シリーズ第3弾であり、TBSによるウルトラシリーズ第4弾(第3弾は東映制作の『キャプテンウルトラ』、見落としがちだ)。
まず、オープニング「ウルトラセブンの歌(作曲・編曲:冬木透)」からして、すでに別格の響きがある。
冒頭のコーラス「セブン、セブン、セブン、セブン」の3番手が尾崎紀世彦とは、よく知られた(知られてない?)逸話だ。
特筆すべきはオーケストラ・アレンジ。特にホルンは、もろマーラー交響曲1番「巨人」だ。あるいは、リヒャルト・シュトラウスのにおいだって濃厚である。
まだマーラー・ブームが起こる前の60年代、子供番組でこんな編曲を敢行した作曲者の慧眼には恐れ入る。
最終回に至っては、ダンがアンヌにウルトラセブンであると告白するシーンで、シューマンのピアノ協奏曲が流れ出す。
決意と運命を引き受け、ダンが自らの思いを断ち切り告白するあの名シーン。放送された時代と視る対象の制約から、具体的な表現は皆無であっても、究極のラブシーンと言えまいか。
その場面に添えられた、鋭い付点リズムのピアノ。
半世紀以上が過ぎたいま思い出しても、最初に聴いた衝撃がよみがえる。
っていうか、今だとYouTubeで普通にみれたりする。再生しようものなら、もうウルウルもんである。
この斬新なカメラワーク、いまもって誰も凌駕できないであろう、すさまじいインパクトだ。
戦後の記憶が、まだ鮮明に残っていた当時。尊き御霊を祖国に捧げられた、特攻隊の方々へのオマージュに感じられたりもする。
しかもピアノは、33歳で夭逝の天才リパッティ。よくぞこの音源を選んだものだ。このシーンにこの演奏、すごすぎる。
冬木透がのちの音楽愛好家に与えた影響力は、『ウルトラセブン』1作に限っても計り知れないものがあるはずだ。
ヒロインのアンヌ(菱見百合子)がたまらない。名前からして、すでに悩ましい。
アンナじゃなくて、アンヌなのだ。語尾が「ヌ」であることで、音感上の淫靡さに拍車をかけていまいか。
さらなる追い打ちは、童顔にしてあのハスキーボイス。
かろうじて保たれている危うい均衡が、複雑な味わいのキャラクターを生んだのだろう。
当時5歳の男の子に恋愛感情など馴染まないが、この女性を、たとえば妖精のような無味無臭な存在とは捉えなかった。
生身の女が持つ色気と存在感を、むしろ現実のオンナ以上にブラウン管から発散させながら、同時に性とは直結しない稀有なキャラクターである。
そしてまだ幼児だった僕に、いかんとも形容しがたい、体の奥底のほのかな疼きを誘発させたのだ。
ご同輩でアンヌにぞっこんな方は、少なくない。YouTubeにも、彼女の登場シーンだけで1本作って公開している人がいる。
閲覧者も多く、思い入れたっぷりのコメントも読みごたえがある。気持ちは僕も、よくわかる。
本題に入る前に、1,400字を超えてしまった。オレ、書き出すとくどいからなぁ。また、明日の続きとする。