春遠からじ

ツイッター7日目。
現時点で「いいね」2つ。今日は少しマジになって、内面の発露はつろを試みてみた。

説教がましい気もするが、別に「こうしなさい」ではなく、「生きてきてこう思った」だから、本来のつぶやきではあるだろう。
反応がなくても、しばらくこれでいくか。しかし140文字を次々ひねり出すなんて、僕にとっては至難の業だ。

ネタとして、著名人の誕生日・忌日いみびを紹介している。
今日は小津安二郎が生まれた日で、60歳で亡くなった日でもある。まさかとは思うが、この監督だと自分の生死まで計算していたような気になって、空恐ろしい。

YouTubeから、小津作品の劇場予告編みたいなのを添付しようとしたら、いくつかの作品が全編まるまる観れる状態にある。
版権が切れているためだろうが、すごい時代になったもんである。

僕が最も好きな「お茶漬けの味」があれば、世界の評論家が全映画作品のトップ1に推す「東京物語」まである。
麦秋ばくしゅう」に至っては、カラー処理までほどこされている。
「どんな仕上がりか、ちょっとだけ観てみよう」なんて思ったら、もういけない。

原節子はらせつこがちゃぶ台でご飯を食べている。やがて小学生の甥っ子と父母がつどう背景で、医師の笠智衆りゅうちしゅうが出かける支度をしている。
平凡極まりない日常の光景が描かれているのに、早くも画面にくぎ付けになってしまう。

結局2時間、観てしまった。何度みても、都度つど新しい発見があるのが小津作品だ。
役者のセリフもカメラアングルも、ほのぼのとした音楽にも、途方もない美と邪悪(最高峰の芸術という意味)が共存している。

それは戦後の復興期(1950年)にあって、引き換えとして失われていく日本の形だ。
親子三世代の一家は、やがてバラバラになっていく。
それは主人公・紀子(原節子)の結婚話を軸に展開していくが、いずれにしても家族という最小集団の分離からして、避けられないことが暗示されていく。

父親の権威の失墜しっつい、働く女性の台頭たいとう、家族の心配をよそに独断で結婚相手を決めてしまう紀子。
遠ざかる日本は、宙に消えていく風船や、電車が通り過ぎて踏切が上がるのを眺める父親の視線などに、暗示されている。

映画のラストシーン。
息子夫婦が北鎌倉の家を継ぎ、娘を秋田に嫁にやった老夫婦は、実家のある大和やまとへと引込む。
いま気づいたが、”大和”とはまさしく、日本の名称そのものではないか。
首都東京という新たな国家に追いやられた、かつての日本人たち。
しかしそこに、安住の地を見出せた最後の世代ともなる。

茶を飲みながら、夫が言う。
「みんな離れ離れになっちゃったけれど、しかしまあ、私たちは良いほうだよ」「欲を言ったらキリがない」
妻はつぶやく。
「でも本当に幸せでしたわ」

小津安二郎が描いたのは、遠ざかる日本の姿だ。実りの秋に揺れる麦畑は、稲作からの転換を表現しているように思える。
そういえば笠智衆が買ってきたパンを、小学生の子供が蹴とばすシーンがあった。
深読みかもしれないが、抵抗のしようもなく染められていく欧米型資本主義(主食のコメ→パン)への、次世代の抵抗の意味まで込められているかもしれない。
日米安保闘争に先立つこと、10年も前の時代にである。

小津安二郎の日本愛は、家長のこの一言に表れている。

「別れ別れになるけど、またいつか一緒になるさ」

バラバラに解体されつくしたかに見える我が国に対して、再び一つとなるかすかな希望と祈りを、小津はこのセリフに託したのだろうか。

麦秋 [カラー] 1951 小津安二郎 Early Summer Eng sub Colorized full movie Yasujiro Ozu - YouTube

出演:原節子、笠智衆、淡島千景カラー化技術がつたないものですから、ご不満もあるかと思います。広い心で楽しんでいただけるかたに見ていただければ幸いです。モノクロ…

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