アバウトな日本の神様
昨日、村田禰宜の動画を撮りました。
少し間が空きました。前回アップした際、お務めに集中したいと意思表示があり、訪問を遠慮していたのです。
拝殿内がだいぶ片付いたとのことで、お呼びがかかりました。
100日間、彼が神主を務める豐由氣神社にこもり、最低限の食事(氏子からの神饌であるお米)を朝夕摂る以外、ひたすら祈り、神社の整備に務めます。
ここには、ネットやテレビはおろか冷暖房装置もガスもありません。
身体を洗うシャワーすらないのです。体臭防止のため、バケツの水をかぶっているとか聞きました。
一体これは、いつの時代の話でしょうか。私なら1日と持ちません。
神社から一歩も出られないため、手紙を書いても、託せる相手が訪れない限り出せません。私もこの日、郵便局に投函を依頼されました。
栄養も休養も十分でないため、だいぶ体力は衰えているそうです。
誰も見ていないんだから、というより誰もそんな要求していないんだからもう少し楽しても良かろうに、この人の雇用主が神様で全てお見通しなもんですから、一切手が抜けません。
ズルこいたって、日本の神様は怒んないでしょ?
怒りません。しかしそれでは、神主としての務めが果たせなくなってしまいます。
これが一般的な宗教だと、お釈迦様とかキリストさんとかアッラーとか人間を超えた絶対的な評価者がいて、彼らの教義に従っていれば安心なわけです。
日本の神様だと、そもそも我々も死ねばみんな神様の仲間入りするという身近な存在なだけに、あんまり行いの評価とか、厳密にしそうな気配がありません。
古事記に記される神々なんて、性格や行いに難のあるご存在が、少なからず登場しますもんね。
だからこそ己によって恥を知り、自らを律する必然が生じたのでしょう。
神道とは「宗教」ではなく、武士道・書道、空手道やラーメン道と等しく、人が生涯を通し、神の「道」を追求する行いなんでしょうね。