底流にあるもの

一昨夜から、デイヴィッド・ゴードン「二流小説家(青木千鶴訳 早川書房)」を読んでいる。
いま193ページ。気づけば半分近くまで進んでいた。

なのに物語の本筋が動き出すのは、なんとこれ以降らしい。事件はまだ、何も起こっていないのだ。
それでいて読者を飽きさせないのは、著者の技量の高さだろう。

残忍な手口で四人の女性を殺害したとして死刑判決を受けたダリアン・クレイから、しがない小説家のハリーに手紙が届く。死刑執行を目前にしたダリアンが事件の全貌を語る本の執筆を依頼してきたのだ。世間を震撼させた殺人鬼の告白本! ベストセラー間違いなし! だが刑務所に面会に赴いたハリーは思いもかけぬ条件を突きつけられ…アメリカで絶賛され日本でも年間ベストテンの第1位を独占した新時代のサスペンス。(「BOOK」データベースより)

今は読む本を、ほとんど吟味ぎんみしない。パラパラとページをめくり、シリアスにすぎない文体のものから選ぶ。
だから上記紹介文も、ちゃんと読んではいない。文章の軽妙さのみで、あとはかんで選んだ。
いっとき流行はやったサイコパス物など、今は全く食指しょくしが動かない。

本書は連続殺人鬼を扱っていても、胃もたれする描写は今のところ皆無かいむで安心して読み進められる。
かえって小学生のころは、江戸川乱歩「盲獣もうじゅう」の終盤「鎌倉ハム大安売り」とか、夢中になって読みふけったものでありますが。隣国の、罪なき人を生きたまま臓器摘出ぞうきてきしゅつしちゃう現実なんか知ると、大正の「エロ・グロ・ナンセンス」なんて、実にかわいい妄想もうそうにしか過ぎない。

なにせまだ途中までで、この本をご紹介しようというわけではない。でも多分、読めば面白いと思う。

amazon prime videoで「9人の翻訳家 囚われたベストセラー(2019年製作/105分/フランス・ベルギー合作)」を観た。
現代は「Les traducteurs」。”翻訳家たち”という意味か。

映画『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』公式サイト

「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズ出版秘話に基づく、本格ミステリー あなたは、この結末を「誤訳」する。―2020年1月24日(金)全国順次ロードショー

フランスの人里離れた村にある洋館。全世界待望のミステリー小説「デダリュス」完結編の各国同時発売に向けて、9人の翻訳家が集められた。翻訳家たちは外部との接触を一切禁止され、毎日20ページずつ渡される原稿を翻訳していく。しかしある夜、出版社社長のもとに「冒頭10ページをネットに公開した。24時間以内に500万ユーロを支払わなければ、次の100ページも公開する。要求を拒めば全ページを流出させる」という脅迫メールが届く。(映画.com抜粋)

prime videoも、何を観ようかなどと検索を始めるとまったく決まらない。
アプリを開いて最初にあるのを(アニメとか青春純愛ものはさすがに避けるが)クリックする。それがたまたまコレだった。

ヨーロッパ映画というだけで、ひどいことにはならんだろうと思ってしまう。
逆にアメリカ映画の能天気さは、観たい対象を著しくせばめる。昔の新日本プロレスというか、たいがいはつまんない興業なんだけど、いったんドツボにはまると人跡未踏じんせきみとうの境地まで連れて行ってくれる、みたいな。
対してフランス映画は、全盛期の(ブル中野・豊田真奈美が看板だったころの)全日本女子プロレスだろうか。想像を超えるエグい攻撃と濃密なエロティシズムが交錯こうさくし、どんな地方興行であろうと期待を裏切らない、プロの完成度があったっけ。

フランス映画は、しっかりとねじじれているところがいい。”しっかりと”いう部分がミソで、半端な変化球は無用、すさまじいカーブを描く。観る側も、直球勝負など期待していない。

なにせ物語の中盤前で最初のネタバレとなり、それ以降はネタバレの上書きが、何度も起こる。実に複層的な展開なのだ。

物語の組み立てが、背景はまるで異なるのに「二流小説家」と、どこか重なってくる。翻訳家がいて、小説家当人がいるのだ。

これ以上は明かせないが、たまたま同じ時に目にした本と映画が、非常に近似的だったことを記しておきたくなった。とても不思議な感覚だ。

さて、映画の冒頭、「デダリュス」完結編の発表で使われる本の表紙は、ビル・エヴァンス&ジム・ホール『アンダーカレント』じゃありませんか。ジャズ界における、いわゆる不滅の名盤というやつだ。特にこのジャケットは秀逸で、自宅に飾っている人も少なくないと聞く。

これ、どういう意味なんだろう?
最後のどんでん返しが起こっても解決されない、この映画最大のミステリーが、実はこの表紙だ。

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