新世界の境地
酒を飲まなくなった。
稼ぎもないのに贅沢していられるかという気持ちもないではないが、もともと体質的に弱く、醒めかけのころの気分がよろしくないので、無理しなくなったというだけだ。
時間になってアルコールが欲しくなるのは習慣だし、1回飲んだら元に戻るかもしれない。
ま、こだわっちゃいない。
書斎というかリスニングルームに万年床が敷いてあって、眠くなるまでテレビ(映像はYouTube)をつけているのが酔ったときの日常だったが、しらふの今は横になりながら、ステレオをつけるようになった。
0時を過ぎたあたりで、ブルックナーの交響曲なぞ大音量でかけている。
冬はどのお宅も窓は締め切りだから、多少(実は結構)音が外に漏れても、迷惑はかけまい。
かえって就寝前の方が、音楽に集中できるのだ。
ついては、これまであまり聴かずにきた音源にも手が伸びるようになった。
ぶったまげたのが、リヒテルの弾くドヴォルザークのピアノ協奏曲のCD。
1966年のライブ録音で、正直音はよくない。「プラハの春」前夜だ。
正直、リヒテルを凄いと思ったことはなかった。
大変なヴィルトゥオーソと認めはしても、なんか変に音が引っかかるというか、もたれる感覚があったのだ。
ところが最初の一音が響いたところで、「俺は今まで何を聴いていたんだ!」と自らを蔑むことになった。
リヒテルの間合いを体得した瞬間である。
CDは入手困難らしいが、なんとYouTubeに映像付きで公開されていた。
いやぁ、いいもん聴いたぜ。と、休む間もなく今度は1974年のしっかりした録音で「新世界」交響曲が始まる。
どっひゃ~!
これはまた、輪をかけてトンデモ演奏じゃないの。
過去聴いたこの曲のまぎれもないベスト。こう言い切れるのは、指揮者の解釈もさることながら、オケの奏でる一つ一つの音が粒立っているためだ。冒頭のティンパニー一つ、音楽がそこで、実際に息をしているかのような生々しさなのだ。
こういう音がそのまま録音されているとは、大げさでなく奇跡的な偉業だ。
指揮者が独裁なだけでは、こんな音楽は作れないだろう。共有される強い思いが、この時このオーケストラにはあったはずだ。
おそらく二度と再現できない瞬間が、刻印されたのだろう。
あー、いいものに触れられて今夜も幸せ。
しかし稼ぎもないのに、こんな生活送ってていいもんだろうか。