晦日の誓い
まったく実感を伴わぬまま、無為無策の1年が終わる。
達成感はなく、だからと虚無感に満たされるわけでもない。
来年は(つまり明日からは)違う動きをしてみようと、今のところ思っている。
具体的にすべきこと。
まずは、カメラをもって外に出よう。
動画編集は嫌いじゃないが、撮影の方は対象がない限り、自ら被写体を求めてというのがこれまでなかった。
結果として、手持ちのカメラを使いこなせている感覚が持てないままなのだ。
根が面倒くさがりなのと、他人からはそう見えなかろうが、引っ込み思案な性格が災いしている。
カメラマンって傍目には「変な人」に映るはずで、下手をすれば変質者と紙一重だ。
「こっちにカメラ向けるんじゃねぇよ」などと思われはしないか、内心ひやひやものなんである。
だからと、最初のころは無人の風景ばかり選んでいたが、動かないものって編集が味気ないし、使いこなす練習にもならない。
結果、何も撮らない日々を重ねるだけで、これじゃ苦手克服など出来ないままだ。
それに撮っているときはどこまでブレたりピンボケなのか、その場で確認しようにも液晶モニターは極めて小さく、イマイチ判然としない。
こういうのも、慣れが大事なはずだ。
どういう状態で撮れているか、物理的にじゃなく感覚的に理解できるまで、能力を引き上げなくちゃならんだろう。
ともかく、カメラをもってまずは外に出よう。
1年の計とするにはあまりに低い目標だが、基本を身につけなくちゃ、仕事が来ても自信をもって対応できない。
そして撮ったものは、なるたけ一般の人にも観てもらえる努力を始める。
やはり他者の視線が入らないと、技術向上も望めなかろう。
地上波の視聴者投稿など、考えてはいる。ただ、ネタが思いつかんのだけど。
あとはやっぱり、営業だな。
ツイッターの継続と、チラシの作成・配布。
1年もかけてようやく地味に始めたこちらの種まきを、来年は小さくても花開かせたい。
終活ガイドとか、資格は取ったものの手つかずの方面も課題だ。
組織と違って、自分がなんでも能動的にならなくちゃ物事は変わらない。
性格改善するしかないかなぁ。でもやっぱ、面倒くさいなぁ。
渡邊 はま子(わたなべ はまこ、1910年10月27日 - 1999年12月31日 戦前から戦後にかけて活躍した日本の流行歌手)の忌日。
これぞノスタルジー。「桑港のチャイナ街」も「支那の夜」も、今日ではまるで意味合いが変わってしまった。https://t.co/6Em6JsgfU8https://t.co/1noITVc77L
— さくら便り (@K1aISji55ZJLjHf) December 31, 2021