田舎神職の神道工作

神社で村田禰宜ねぎ百日参籠ひゃくにちさんろうの模様を撮影していたら、おばあちゃんと男の子が参拝に訪れました。
気軽に話かけてくる少年は6歳、町の小学校に通っているそうです。帰省している彼の面倒を、おばあちゃんが見ているのでしょう。

おばあちゃんには割と憎まれ口をききますが、お賽銭さいせんを投げ入れ手を合わせる姿は実に神妙で、微笑ほほえましくなります。
意味がわかってやっているとは思えないし、おばあちゃんもなぜ手を合わせるか、説明しません。成長していく過程で、いつか理解する機会もありましょうか。

私が幼少期を過ごした近所にも、神社がありました。
防空壕の跡があって、秘密基地がわりの遊び場になっていました。紙芝居や、得体の知れない水飴を売るおじさんが出没した場所でもあります。

しかし神社を神聖な場所と感じたことは、一度もありません。
昔から在る場所ていどの認識で、それ以上の興味などありませんし、親も教師も近所の大人も、神社の意味するところを教えてはくれませんでした。
だいたい、参拝していた人の記憶がないもんなぁ。大人たちも神社がなんであるか、よく理解していなかったんじゃないか。
いわゆる東京のベッドタウン(仕事場・オフィスのある都市部へ混雑した電車で通勤し、寝に帰るだけの住まい)で、新興住宅も少なくなかった場所です。

神社と寺の違いを認識したのだって、そんなに昔のことではありません。
どちらも宗教の一つであって、無神論者の自分には無縁な世界と思ってきました。
寺が管轄するお墓に親や先祖が眠っていて、線香を灯し手を合わせることで過去との繋がりを感じる、それが大方の日本人であろうと他人事ひとごとレベルに考えていました。

神道しんとうが気になり出したのは、戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の行ったウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)の存在を知ってのちです。
死を恐れない敵国・日本の本質は天皇の存在にあり、神道という”宗教”がその精神を形成している、彼らはそう判断し、神道を解体しようと動きます。
さすがです。壮大な勘違いですが、一方で本質をついてもいます。
世界最古の歴史を持った恐るべき民族の核を、奴ら彼らは骨抜きにしようと企んだわけです。

敗戦までは、空気と同じくらい在ることの当たり前だった国体としての神道は、”宗教”にすることで、どうにか生き延びました。しかし同時に換骨奪胎かんこつだったいされて、存在の極めて希薄なものへと、変質していきました。

すたれゆく一方の神社=神道は、そのまま、今の日本です。
神社とはいにしえより先人の育んだ日本人の精神そのものであり、そこに誇りや魂の安らぎが集約されています。
先人はみな神となり、生まれ育った家を守ります。実に合理的な解釈であり、生の連続の過程に、自分もまた存在していると理解できます。

遠い昔のいずれの時にも、祖先が次の世代を産まなければ今の私は存在せず、そうなれば壮大な歴史の連続性を実感できます。
先祖を敬いこれを継承すれば、いずれは敬われる立場に自らがなるわけです。
そのためには後世に恥を残さぬよう真っ当に生きようと思うし、民族としての誇りも回復していく道理です。

神道の精神の復興は、日本国を元気にする活力、そのものとなるはずです。
プライベートでもえらく変化の中にある今、”変な人”村田禰宜と知り合ったことは、天の差配と感じざるを得ません。

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