腐る紙

朝、古紙回収の当番だった。
寒くなってからは二度寝遅起きの生活が続いているから、5時台に床を離れるのはかなりしんどい。
寝たのが(眠くなったのが)未明の3時だから、なおさらである。

自治会館の駐車場まで、5分ほどの散歩。ささやかながらもこんな朝を迎えたのって、どれくらいぶりだろう。
白い息を吐きながら歩いているうち、頭がすっきりしてくる。いい気分だ。

この当番、数年に一度しか回ってこないが、今どき古紙なんてどれほど出るものなのか。古紙の大半を占めてきた新聞を読む世帯が、どれくらい残っているのか。

予想通り、利用者は激減していた。
顔見知りの自治会長・副会長は毎回出ているんだそうで、聞けば「当番なんて一人いれば十分だよ」とのこと。ホントだ。持ってくる人、ほとんどいない。

新聞業界の斜陽化は世界的に留まらず、その中にあって日本はまだ、いいほうだとも聞く。
我が家も数年前に配達を断った。さらに言えば20年近く、新聞をまともに読んでいない。

要因はいくらもあげられよう。
インターネットの急速な普及、活字離れ、少子化や地方の過疎化など。避けられない外的な要素は重なっている。

しかしまぁ、新聞自体の魅力がなくなったというのが、最大の原因ではないか。
特に地方紙は共同通信の記事をそのまま、あるいは一部のみ修正しただけで掲載するから独自性がないし、さりとて地元での深掘りした記事も見当たらない。
多少の摩擦は起きようと、というより本気で記者が取材すれば、摩擦がおきるのは日常茶飯事なはずで、その痕跡もない無味乾燥の文章を読む気など起きない。

静岡新聞で言えば昨年、あろうことか流行り病による自粛のさなか、関連放送局の女子アナウンサーとの不倫めいた夜のご乱交がすっぱ抜かれた。フライデーにである。
これに対して新聞社も局も、自浄を思わせる行動は一切取らず、騒動が静まるのを待っていた。この一件だけで、相当部数を落としたのではないか。
問題が発覚する前の、同社長のインタビュー記事がネットに残っている。まさに軽佻浮薄けいちょうふはく厚顔無恥こうがんむち。こんな人間がトップのメディアに、明日があろうはずがない。
そしてこれは、全国紙にも共通する要素だ。

【社長インタビュー】正月広告「静岡新聞SBSは、マスコミをやめる。」はなぜ生まれたのか | AdverTimes.(アドタイ) by 宣伝会議

1月11日付の静岡新聞朝刊で、11面から14面にかけて静岡新聞SBS(静岡新聞社と静岡放送)の企業広告が掲載された。この広告に込めた想いを、社長の大石剛氏に聞いた。

他人に厳しく、というより極端な偏向報道で個人を追い詰めることをいとわず、自らに甘く、つまり自戒の念など一切ないということが、白日の下にさらされてきたのだ。

本来、新聞の担うべき社会的役割は極めて大きい。報道機関の衰退すいたいは国家そのものの腐敗につながりかねない。
しかし当の組織が堕落し、癒着や妥協の中、叩いて平気な相手(この国では総理大臣や皇族までもがターゲットになる)はいくらでも叩き、さもなければ差しさわりのない記事に終始する以上、存在理由などあろうはずがない。

むやみに批判しただけで終わるのではなく、だからと事なかれであってもいけない。
手法として捉えれば難しそうだが、一本背骨が通っていれば何ほどのことでもない。いかに自分たちの住む街を、国を良くしていけるかを、根幹に置くだけの話だ。

読まれなくなった新聞の現在を目の当たりにして、だけど本当は読みたい記事を書けよとの一縷いちるの望みも、捨てきれずにいる。
絶望したままでは、体に良くないからだ。

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