衰退から始まる物語
元日は午前2時過ぎまで撮影して、午後2時に再び神社に出向いた。
宮中祭祀にならい、村田禰宜の年末年始に休みはない。
「巫女さんがいてくれたら…」と何度もこぼす。
時間的・物理的に、一人ではこなせないことがあるらしい。
日ごろ神社に務めていて、指示なく自発的に動いてくれる巫女の必要性は確かに感じる。
一方で、禰宜のようにひたすら日本のため、滅私奉公してくれる女性がいるとも思えない。
雇用するなら、パートやバイトであっても、最低限の保証が不可欠だ。
鶏が先か卵が先かでいくなら、やっぱり金という卵を産んで育てるしかない。
だからと、原資獲得を目的にお札やお守りの販売・御朱印などに力を入れすぎるのもよろしくないんだそうで、隔靴掻痒なところはある。
「きれいごと」を通し、かつ実入りも欲張るなら、神職とそれを支える有志の、徹底した役割分担しかないだろう。
僕は去年まで、近くの神社の総代を担っていた。
境内殿の修繕など、ちょっと小ぎれいにしたら三が日の賽銭が三倍になった。
それだってたかだか、数万円にも満たない額だ。運営資金と呼べるほどの収入にはならない。
村田禰宜が始めた豊由氣神社改革は、今回の初詣で大きな前進をしたと言って良い。
巫女さんを養うにはまだ一けた足りないものの、これだけ田舎神社に人が訪れたのだ。中には地元以外を名乗られる参拝者もいた。
何かと面倒くさい神主さん・有志の皆さんで、あり得ない世界を生んでいけたら面白い。
僕の役目は、非力ながらも公報担当だ。