Aが生まれた日

11月は、近親者の誕生日が続いた。
22日は息子の連れ合い、23日は同棲中の娘の彼氏。
今日も、たぶん間違っていないと思うのだが、僕の近未来をピタリと当てた以前の仕事関係の方が、生まれた日だったはずだ。

12月には妻が、来年1月になると娘と息子が、誕生日を迎える。
こういうお祝いや記念の日を、さすがに”覚えていない”わけではないのだが、スマホでお報せを設定していないとうっかりやり過ごす。
自分の誕生日も例外でなく、数字として認識はしていても、イコール特別な日との感覚がない。

子供のころなら「何かをもらえる日」として、しっかり把握していた。
決して「祝ってもらえる日」「自分が主役になる日」ではない。だからもらえる年代を過ぎると、誕生日の存在理由は身元を証明する、ただの記号と化してしまった。

ところが僕以外の周囲の人たちは、互いの誕生日をやたらと気にかける。
昨年、娘の誕生日をうっかり忘れていた僕は、午後になって妻からお小言こごとを食らうことになる。
僕からのメッセージがないと、娘がしょげているというのだ。
あわてて「おめでとう」を送ると、やたら「嬉しい」の絵文字を盛った返信がきた。

こういうのがわからない。人生の節目・一つの区切りではあろうが、そこまで祝わなきゃいかんものなのか。

これが息子夫婦だと、二人が出会った日とか、初めて食事を一緒にした日だとか、1年通してやたら記念日があるらしい。
妻は仲がいい証拠と笑っているが、僕など、しらけるというより不気味な感覚にさえなる。

古いのだろうか。
それは否定できない。
まして息子にしろ娘にしろ、親とはいえ他人の前で臆面おくめんもなく互いにイチャイチャする。「二人の世界」を、おおやけの場に持ち込むなとつい言いたくなる。

現在では、個人の誕生日をお祝いすることは一般的になっていますが、もともと日本には誕生日をお祝いする習慣がありませんでした。
昔は「数え年」で年齢を数えることが普通で、お正月がくるとみんな一斉に年をとっていたためです。
日本で個人の誕生日が祝われるようになったのは、昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降に、満年齢での数え方が普及しはじめてからだと言われています。
海外においても、誕生日は、神の生誕を祝う日として宗教的な意味合いが強いものでした。
イエス・キリストの生誕を祝う「クリスマス」などが代表的です。

ほれみろ。こんな習慣、つい最近のことじゃないか。しかも例によって毛唐けとうの文化である。
ここ10数年でいきなり騒がれるようになった、ハロウィンとおんなじたぐいだ。

個人の誕生日を祝うようになるずっと前から、日本には、ある伝統的な誕生日の風習があります。
それが、七五三です。七五三が行われるようになったのは、室町時代頃といわれています。
当時は、現在ほど医学が発達しておらず、栄養も乏しかったため、乳幼児のうちに亡くなってしまう子どもは少なくありませんでした。
そこで、七五三の歳まで無事に育ったことへの感謝を込めて、また、幼い子どもから少年・少女へと成長するひとつの節目を祝う意味を込めて、神様に祈りを捧げるようになったことが、七五三のはじまりです。(中略)
また、奈良時代以降に行われるようになった男の子の「元服(げんぷく)」や、公家の女の子が執り行う「裳着(もぎ)」も、古来より続く日本の伝統的な誕生日の風習だといえるかもしれません。
元服や裳着は、数え年12~16歳で執り行う成人の儀のことです。
現在では20歳の誕生日を祝う「成人式」として、その形を残しています。
成人の儀には、大人の一員として迎えることをお祝いするだけでなく、その年を迎える本人にとっての通過儀礼の意味が込められています。
(以上、お誕生日新聞より引用)

うん。日本の伝統からして、やっぱこっちだな。
個人の祝いだけに卑小化されない、高貴なかおりがするじゃないか。

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