「いま」から一番遠い人
「ベンチャー神主」を自称する村田重年氏は、先月(令和3年4月)より禰宜に就任しました。
禰宜とは、神社における職名です。一般的な神社では上から宮司、禰宜、権禰宜の順になっていて、禰宜は宮司を補佐する立場です。ゆくゆくは彼が、「豐由氣神社」の宮司を継ぐわけです。
と同時に、私の住む地区11神社を、統括する立場でもあります。
禰宜は、ねぎらうの語源でもある「ねぐ」から来た言葉です。ねぐという言葉を目上の人に使う場合、「祈ぐ」と書きます。
神の心を和ませ、その加護を願うという意味だそうです。スゲーじゃん。
村田禰宜は皇學館大学出身のキャリア神職ですが、全国の名だたる神社に務めることなく、地元の小さな”かむやしろ”を、敢えて選びました。
思うところは国体の護持、神社神道の再興にあります。つまり彼は愛国者であり、国を憂う右翼なんであります。
あんまり具体的な内容を記すのは、別の意味で保守的な業界(?)に属する彼の立場を危うくしますので、ここでは遠慮いたします。
私からすれば村田禰宜は、「面白い人」の部類に属すわけです。
今回だって、明治初め以降に記録がない「百日参籠」を、田舎の無名の神社で始めようというのですから。
そんなことやって一銭の得にもならないし、宗教界含め、誰から注目されるわけでもありません。
百日の間、蒸した米と煮干しを一日二回摂る以外、ひたすら神様に祈るだけの日々を過ごします。
それが古来よりのならわしであるなら、ひたすら忠実に倣おうというわけです。
よく言えば、究極の温故知新。
悪くとれば甚だしい時代錯誤、誇大妄想の輩とでもなりましょうか。
しかし”変な人”によって時代が動いたり、新たな価値が生まれる場合もあります。
SDGsみたいなグローバルでいかがわしく、世界を均一化しようとする動きより、村田禰宜の個の思いの方に、人間の健全さをよほど感じてしまうのです。
というわけで地味〜な彼の神事ですが、おりに触れ紹介してまいるつもりです。
あ、それと忘れてたけど、今日から撮影に外付けワイヤレスマイクを使用しています。
しっかり声が記録できて、私はたただいまご機嫌なのであります。